【蔵元インタビュー】大矢孝酒造 大矢 俊介さん 第3回


【写真】蔵の入り口にある樹齢400年超のケヤキの木。ずっとここで蔵の歴史を見守ってきた。
【写真】蔵の入り口にある樹齢400年超のケヤキの木。ずっとここで蔵の歴史を見守ってきた。


【第3回】H29.10.14UP

 

神奈川県愛甲郡愛川町で創業から187年間、日本酒を醸し続ける「大矢孝酒造」。平成29年9月に行った、八代目蔵元・大矢俊介さんへのインタビューを3回に分けてアップします。第3回目の今回は、

 

◆「無い無い尽くし」で始まった八代目の酒造り。

◆ 創業200年に向けて、九代目に託す思い。

◆ 大切な言葉「醸は農なり」。

 

などについて伺いました。 


「昭和中期の酒道具」を現役で使っていました(笑)

 

――― 大学は醸造学科ではなく応用化学科で学ばれたとのこと。蔵に戻ろうとは思っていなかったのですか。

 

思ってないです。父は自分の代でやめるつもりだったから。

 

――― そうなんですか!?

 

はい。両親からは1回も蔵を継げと言われたことがありませんでした。

 

――― しかし先代が倒れてしまったときに「継ごう」と思ったのはなぜでしょう?

 

(子どもの頃から)家が酒造りをしているのは当然わかっていましたが、ただの仕事であって、そこに歴史や文化などは全く感じていませんでした。

 

でも学生、サラリーマン時代になって「親が何をしているのか」という話題になりますよね。「酒を造っている」と言うと、「それ、すごいことだよね!」という反応が返ってくる。でも当たり前のことだから、何がすごいかさっぱりわからなくて(笑)。でもそう言われ続けるうちに「ああ、そうなのかな」と思い始めて。

 

――― 「やりたい」と思っても新規参入はまずできませんしね。

 

そうなんですよ。だから色々なことを考えて、やっと気づくんですよね。親や自分が農大を出ているような環境ならまた違うんでしょうけど。それでも「やる、やらない」は特に決めていなかったのですが、父が倒れてしまったので仕方なくやり出した。最初は設備も何にもないんですよ。ほかの蔵に行くと、「これはうちに無い。これも無い。無い。無い!」

 

――― 無いものばかり(笑)。

 

ああ、今こんなの使って仕事するんだなと。以前京都で月桂冠さんの大倉記念館を訪れましたが、そこでは「昭和中期の酒道具」として飾ってあるものを、うちで現役で使っていましたから(笑)。まあそれでも十分造れてしまうんですね。酒造りは400年以上スタイルが変わっていないので。米洗って、麹作って、蒸した米と合わせて酒を造る。だから言い換えると400年前の設備でもできるんです。

 

今はクリーンな環境がすぐにつくれますので、昔と同じ道具を使ってもきれいな酒ができます。でも、さらにブラッシュアップするには設備投資をしていかないと。以前と比べ11月ではまだ気温も高いので、冷却設備がないとしんどいですし。

 

――― 冷却設備はどのような場面で使用されるのですか。

 

うちの仕込みではお米は約1トン、水を13001400リットル使います。仕込み時点の温度が6~8くらいで、ゆっくり上げていってだいたい10日目で15にして、またゆっくり下げていって最後に10~8℃にする。しかし暑いとこんな温度(6~8)では仕込めないし、外気温が15以上あるときに(10日目の目標である)15で止まるわけがないんですね。

 

そういう場合は仕込みの水を減らして氷を入れたり、冷却装置を回して周りを冷やしてあげたりします。今だからできることですね。

 

ただ色々な蔵がありますから、正解も不正解もなくて。「酒屋万流」といって “酒屋さん”(=酒蔵)の造り方は何でもありなんですね。造りに関しては造り手が良しと思えば、また飲む人が旨いと思えばいいことですから。

 


醸は農なり

 

――― 一升の酒を造るのに、約一坪の田んぼが必要となるそうですね。

 

そうなんですよ。だから純米酒はすごくお米をたくさん使う。今は徳島県の阿波山田錦を一番使っていて、山形県の出羽燦々(でわさんさん)や長野県の美山錦。そのあたりをメインで使って、岡山県の雄町を使ったりと色々ですね。

  

さわやかな味わいの「残草蓬莱」シリーズを造って、「昇龍蓬莱」シリーズは全量生酛仕込み。それでもう大きな味わいの違いが出てくる。生酛には山田錦を使った精米歩合40%、50%(純米大吟醸)、60%(純米吟醸)、75%(純米)があり、雄町や八反錦の60%もある。

 

使用する酵母は「7号」だけで1種類。あとはお米と造りの違いで味わいに変化をつける。酒母造りも速醸であれば黄麹を使うのか白麹を使うのか、その中で普通に造るのか低アルコールで造るのか、ドライに造るのか甘めに造るのか。けっこう複雑なラインナップになっています。辿っていけばひとつになっちゃうんですけどね。

 

――― 改めて、お米無くして日本酒は生まれないのだと強く思います。

 

上原浩先生が「醸は農なり」と言っています。醸すことは農である。農業と近いところにいないとただの工業製品になってしまうんですよと。そして「より良いお米を作って、それを純米酒にしていこう!」という流れを一番汲んだのが神亀さんでした。

 

――― 「醸は農なり」は、俊介さんの中にずっと残っている言葉なんですね。

 

そうですね。それと、やはり自宅に帰ったときに味のしっかりした純米酒を飲もうと思ったら、自分できちんと作ったものを食べると思うんですね。海外産の食材を使った冷凍食品ではなく、国内産のものを使って。

 

すると少なくとも純米酒を飲むシチュエーションでの食事は、政府が「食料自給率45%を目指しましょう」なんて言ってるけど、そんなもんじゃないんですよね! 70%とか80%とか。

 

――― テーブル上はほとんど国内産となりますね。

 

そうなんですよ。だから純米酒を日々飲むようになってくれば自然と食料自給率が上がってくる。

 

――― お酒の味わいに食事をきちんと合わせようとすれば、必然的にそうなっていく。

 

はい。そうしなくてはいけないという考えじゃなくて、自然にそうなるんですね。だから日本酒ができること、とりわけ純米酒にできることは、食中酒として食事と共にお楽しみいただくことなんです。

 

現状をいきなり覆そう、世界を変えようというのは大きすぎて無理な話ですけど、純米酒を広める啓蒙活動をしていけばその周りは食料自給率も上がりますし、農家さんのためにもなる。日本の農業を支えるために、純米酒も一翼を担っているのかなと思います。

 


神奈川県内にどんどん広め、神奈川県から発信する

 

――― 13年後には創業200年を迎えます。そのあたりを含めた今後のビジョンを教えてください。

 

そうですね、多分13年経っているともう僕は(経営者を)やっていない可能性が大きい。子どもがやっているんですよ。やはりベストな環境を作って「もういつ譲ってもいい」というときに譲りたいのが親心ですよね。

 

父のときは大変だったわけですから、かなり不本意だったと思います。それから少しは状態を良くできた。さらに現状より良くした状態で渡して、「あとは良くするのも悪くするのも君次第だよ」と、そういったところに仕立て上げられるようにしたい。

 

会社としては、現状で消費量の20%しかない純米酒を広めていかないと、「醸は農なり」に結びつかない。自社の酒をどうこういうよりも、原材料(=米)をより多く使う純米酒を広めていくことが会社としての仕事ですね。

 

神奈川県内にどんどん広め、また地元・神奈川から発信できたらと思います。

 

2017年9月20日 談