六代目蔵元として泉橋酒造に戻って以来、走り続けてきた橋場友一さんの「これまで」を記録した4回のインタビュー。
最終の第5回では、蔵の成長を支えてきた蔵人=人材についてと、六代目が描く「泉橋酒造のこれから」について伺いました。
全5回を通して常に開け広げにお話しいただき、またその内容を原稿にする際にも最大限のご協力を賜りましたことに感謝申し上げます。
◆インタビュー掲載状況
【第5回】「泉橋酒造のこれから」2019.6.29UP
泉橋酒造の「人材」
――― 今回の特集では、4人の蔵人さんに話を伺いました。全員が蔵の目指す方向性をよく理解し、行動しているように感じたのですが、どのように皆さんを採用してきたのですか?
採用については、基本的に彼らが自ら来てくれていますね。感謝しないといけません。もちろんそれぞれに一長一短はありますけど、それは当たり前。完璧な人なんていませんから。みんな真面目ですよ。
大事だと思うのは、それぞれの人生が楽しく充実したものであるべきということ。仕事に多くの時間を使うのだから、そこが面白くないと良くないですよね。
――― そうした考えになったのはなぜ?
サラリーマン経験があるからかな? 「明日は出勤日」という前日の日曜の夜が来ると憂鬱になると言いますね。まさにそれでした(笑)。だから、そういう職場にはしたくない。昔は採用の時に「冬場は一日も休みがないけど大丈夫?」と聞いて、「大丈夫」と言った人しか採りませんでした。その瞬間、顔が曇った人はだめ。
――― 言葉では大丈夫と言っても、顔でわかってしまうのですね(笑)。
並大抵ではないですからね。僕も酒造りの現場に入っていましたが、「空いた時間は全部寝たい」という気持ちでした。しかしそういう状況だと、良い酒を造れないのですね。作業をこなすことが重要になって、プラスαのことを考える余裕がなくなってしまうから。
――― 回していくのに必死で。
そう、だからそうしてはいけない。その辺が今どこまでできているか。
――― しかし、今は酒造期でも月2日の休みが取れているそうですね。
「もっと休んで」とは言っているのですが、なかなかそうもいかないようで。人を増やしたらいいのでしょうけど、その分の売上がないといけませんからね。その辺りが難しいところです。
創り出すのは「現場」にいる彼ら
――― 現在、栽培醸造部のリーダー役は高橋亮太さん(蔵人インタビュー参照)ですが、その前は杜氏さんを中心とした造りでした。その辺りの転換期について教えてください。
杜氏さんが辞めた後「彼らは誰を頭にしてやるのかな?」と見ていたら、亮太君になった。「あ、そうなのね」と。
――― そこは現場に任せていたのですね。
しばらくは僕が製造計画を作っていましたが、今期からは意見交換を交えながら亮太君が製造計画を作るようになりました。製造計画を作る人が「頭(かしら)」なのですね。
――― 壁にぶつかったり、時には失敗することなどもあったのでしょうか?
もちろん、失敗がないことは無いですよ! 私はよく造っていると思いますよ。不安だらけの中、 “でっかいおもちゃ”みたいなモノを預けられて、「よくわからないけど、とにかく動いている」といった状況で(笑)。やりながら、走りながら勉強していったのだと思います。
――― 細かく口を出してしまうのが普通かと思うのですが。
聞かれれば「こうした方が良い」と言うこともありますよ。ただ、僕が一から百までできるわけではない。みんなを信じてやるしかないんです。この5、6年でそれが明確になってきましたね。結局、僕がやってしまうと僕のニュアンスから抜け出せない。
――― 抜け出してほしいという気持ちがある。
何か生まれてほしい。前は色々と自分でやっていましたが、結局僕がやると指示待ちになって遅くなることがあるんですね。基本的には任せた方が良い。最終的に出来たお酒の味は蔵元の私が見るから、評価は伝えます。「どうしてこうなったの?」と聞くと、「いや、実はここが・・・」という話も出てくる(笑)。
――― そこまで任せてみて、結果を見て、軌道修正だけをしていく。普段、蔵人さんはどういうスタンスで接してこられるのですか。
「こういう風にしたい」と自ら言ってきますよ。こちらから言えば “命令”になってしまうけど、しっかり言ってくるのでその時に色々と聞いて「そうなのか」と。
――― 当然、その場その場で橋場さんが判断してOKまたはNGとなるのでしょうが、例え却下されてもまた何かを言える雰囲気がある。
そうです。逆に提案が無いようではいけません。現場で農業と酒造りの両方に携わっている彼らが「何かを創り出す」のではないかと思っている。それを期待して待っている状態です。
“踊り場” にいるからこそ足腰を強くする
――― 神奈川県産業技術センターと「生酛造り」に関する共同研究をされていますが、この研究についても基本的には蔵人さんに任せているそうですね。
そうですね。そもそも生酛を始めたのは、彼らが「やりたい」と言ったからなんですよ。現在は、生酛と速醸の製造量がそれぞれ半分程度になっています。
――― 結果的に生酛も「いづみ橋」の主力となっている。それぞれの味わいはどのように違うのですか。
生酛の複雑さはワインで言うと赤。速醸は手をかけるほど味がクリアになるので、白ワインのイメージ。“赤”と“白”の両方を持っていれば、食べ合わせも考えやすい。最終的にお酒は食事と共に楽しむもの。その楽しさを伝えるために、生酛と速醸で造り続けているのです。
それから、もう一つ新プロジェクトが動くかもしれません。海老名と大島は距離が離れているから気候が違いますね。土ももちろん違う。当然、耕作条件が変わってくる。そこで、それぞれの地域特性を明らかにして「土地に合った米作りと酒造りにしていこう」というものです。すると「栽培特性(テロワール)」が語れるようになる。
――― それほどに細かく分けていく。
そこまでいかないと迫力がない。やはり「この土地だからこそ、この酒が造れる」という物語性があれば、より美味しくなるのではないか。そのためにも科学的な裏付けが必要となる。やっとその段階まで来たわけです。
――― まだまだやりたいこと、やるべきことがたくさんあるのですね。
先日、ある方から「全方向的にやっていますね」と言われました(笑)。自前で米を作る部門を持ち、地元だけでなく大島などへの “遠征農業” もして、自社で精米する。オール純米酒で、その半分は生酛造り。また、神奈川県の農業技術センターや産業技術センターとも共同で研究をしている。
確かにある意味で全方向的なのかもしれません。これは酒蔵にとって米作りから酒造りまで統合してやっていくとどうなるのか? という「社会実験」だと私自身思っています。
――― なぜそこまでやるのですか?
今、全体的に会社としては “踊り場” の局面にいます。製造量を増やしたいけどマンパワー的に限界があるし、精米機が1台しかないこともある。実はここ3年ほど、1000石から量が増えていないんです。だからこそ、この時期に足腰を強くしておく。次にもう一つ上に行くためには、その準備が必要なのです。
泉橋酒造のこれから~事業承継~
――― 「泉橋酒造のこれから」についてはどのようにお考えですか。
農業には力を入れなければならない。ということはお米が増えるので、それをお酒にしていかなければいけない。プレッシャーはありますよね。
――― 増やしていくことは決めている?
田んぼが空いていきますからね。「この辺でうちはいっぱいです」と言って、これ以上受けないのも一つのやり方ではありますが。
――― 話は先方から持ち込まれるわけですね。
そう。この20年間はその連続で田んぼが増えている。だから泉橋酒造の農業が大きくなってきたこと自体、農業を辞める人たちがいるその「反面」なのです。酒米研究会の農家さんたちも同様で、周りから「田んぼを頼むよ」と預けられて拡大してきた。その流れが突然変わるわけではない。地元の農環境を守っていくことは大事なことの一つです。
――― 酒蔵についてはいかがでしょう。次世代に事業承継をすることも考え始めている?
そうですね。そこは常に考えながらやっています。おそらく代々続いている会社の場合、常々考えているのでは? そのようにできているのでしょう。
――― ご自身が「六代目」になった時から?
子どもが生まれた瞬間から。直接、子どもに向けて言わなくても、自然にそういった話題が会話の中に入ってくる。自分の親たちも普通に話していたし、自分たちもしてきました。
今、後を継ぐ人がいなくて黒字だけどやめてしまう会社がすごく多いらしいですね。だからオーナーとして創業した人がいつまでも現役でいってしまうそうで。
それに対して代替わりしていく会社の場合、例えばうちの親父は40歳になった時に社長になった。僕も40歳で社長になった。もしかしたら、次の世代にやる人がいたら、うまくいったら40歳で社長かな。
――― 仮にそうだとすると、ご自身がおいくつの頃に七代目が誕生するのですか?
まあ、わかりませんが。僕が今50歳ですから60代半ば頃かな。でもそうすると、あと約15年もやらなければいけないな(笑)。
――― 逆に言うと、まだまだ六代目の時代に色々とできる。
そうなんだけど、本当はうまく後ろに引っ込んで、社員も含め新しい人たちが表に出た方が良い。上手に入れ代わることが自分の責任。お客様、田んぼ、酒蔵などなど、商売関係で様々なものを「預かっている」わけですから、周りに大変な迷惑をかける可能性もある。そういう意味で事業承継は大切です。
基盤を作っておきたいですね。何があってもグラつかないようにきちんとした製品ができて、信用してもらえる基盤を。そうでないとかわいそうですよね。そのためには流行り廃りの流れに飲まれず支持が得られるお酒にしたい。
――― 「いづみ橋」と言えば、こういう酒。
そう。「何かのときは買っていこう」とか「年に数回の大事な日にはこれを飲みたい」。そういうお酒にしたいですね。ただ、まだまだ努力が足りない。というのも海老名市内には5万以上の世帯があります(※)。対してうちの製造量は年間1000石(一升瓶で10万本)だから、市内5万世帯の人が一度に買いに来たら一瞬にして、「出荷できません」となってしまう。ですので、まだまだ努力は足りない。
――― 地元だけを考えても、まだまだ会社が成長する余地があるのですね。それでは5回に渡って掲載してきた「蔵元インタビュー」と、4人の方にお聞きした「蔵人インタビュー」、その他の記事による「泉橋酒造の春夏秋冬」特集を完結したく存じます。1年間のご協力、誠にありがとうございました!
(※ 平成30年12月1日現在、56,364世帯―海老名市HPより。)
2019年2月27日 談