【蔵元インタビュー】泉橋酒造 橋場 友一さん 第3回「オール純米蔵への道」H30.10.7UP

「さがみ酒米研究会」を発足させ、いよいよ地元・海老名の農家さんと共に歩み始めた泉橋酒造。

 

まもなく訪れた焼酎ブームによる逆風にも負けず、次に目指すは「オール純米蔵」! しかし、こだわりを持って造ってきた「80%精米」酒は普通酒扱いだった・・・。

 

そんな時、またも法改正が! そして酒屋さんとのご縁から生まれたヒット商品も生まれ、「いづみ橋」は次のステージへ!!

 

◆蔵元インタビューの掲載予定

【第1回】「始まり」2018.5.27UP

 

【第2回】「栽培醸造蔵への道」2018.7.28UP

 

【第3回】「オール純米酒への道」2018.10.7UP

 

【第4回】「山田錦と楽風舞」2019.1.30UP

 

【第5回】「泉橋酒造のこれから」 2019.6.29UP



相次ぐ「ブーム」と蔵元の信念

 

ーーー 田植え会の開催、さがみ酒米研究会の立ち上げ、酒米栽培のスタートと、蔵に戻ってからの橋場さんの行動力が半端ない!

 

もう必死ですよ。しかも赤ワインブームがきたと思ったらその次は焼酎ブームですから。

 

ーーー 焼酎ブームはすごかったですね。(注:「赤ワインブーム」はH9年~10年頃、「焼酎ブーム」はH15年~16年頃がピークだった)

 

きつかったんですよ。ホントにきつかった。それまでは(飲食店で)日本酒のメニューが10品あったら、焼酎は2品くらいだった。焼酎ブームのときは完全に逆転していましたね。うちの会社はちょうど、地元でお米を作って酒造りをする方向に転換していた時代です。

 

ーーー 逆風がおさまるまで転換を保留する選択はなかった?

 

「大切な自分の子ども」に食べさせるごはんに無頓着だなんて有り得ないでしょ!?


 お酒は我が子のように大切に育てるわけだから、酒米は我が子(=お酒)へのごはんと同じ。そこはきちんとやっていく。


「酒造りは米作りから始めなければいけない」という固い信念でしたね。


「田んぼで精米が始まっている」という考え方

 

ーーー あまり米を磨かない酒を出されているのも泉橋酒造の特徴ですね。「精米歩合80%」というのは、20%しか削っていないということ?

 

そうですね。精米80%のお酒は多く造っています。日本酒の場合、一般的には高いお酒ほどお米をたくさん磨く。しかし「それほど磨かなくても、良い酒が造れる米」を作ろうと考えた。

 

ーーー 具体的にはどのようなことですか?

 

まず肥料を抑えます。すると農薬も抑えられる。たくさんの肥料を使うと農薬もたくさん使わなければいけなくなるという関係性があるんです。施肥を減らすので収量が減る → 良い土になる → 良いお米ができるというわけです。

 

収量が減った分、単価としては農家さんから高く買わなければいけないですよね。その上にたくさん磨いたらさらにお酒が高くなってしまう。でも良いお米を作ることで「田んぼで精米が始まっている」という考え方にすれば、それほど磨かなくてもいいだろうと。

 

ーーー 「田んぼで良い米を作ること」は「精米機で米を磨くこと」と同じような価値をもたらすのですね

 

それで生まれたのが80%精米のお酒。平成13年のことでした。当時は70%まで磨かなければ「本醸造」とも「純米酒」とも名乗れなかったんですよ。名乗れるようになったのは平成16年。

 

それでもあえて造っていました。今でも(製造量の)1割以上は80%です。


営業は我慢・・・からの梅酒ヒット!

 

ーーー 全て純米に切り替わったのはいつですか?

 

平成18BYからだから、平成19年には切り替わっています。全てを純米にすると決めたキッカケは、お米を1%でも磨けば純米酒を名乗れるようになったこと。

 

さっき言った平成16年の法改正なんですよ。それまで80%のお酒は普通酒扱いだったのが、純米酒と認められるわけですよね。「あ、それならいける!」と。ずっとオール純米蔵にしたかったけど、80%は捨てたくなかったんです。

 

ーーー 醸造用アルコールを添加した「アル添酒」の扱いについては。

 

「売れているからいいや」とアル添酒を造っていたらオール純米蔵になれないし、「酒造りは米作りから」にもならない。だから段々と減らしてきていて、平成15年の時点で本醸造が15%ほどになっていました。

 

ーーー そして法改正が最後のキッカケとなり、いよいよオール純米蔵となった。 でもアル添の製品にも一定のお客さんがついていたわけですよね? それをやめてしまったのだから、客層に変化もあったかと思います。

 

そうですね。でも営業したらダメなのでじっと我慢して。

 

ーーー 営業しない!?

 

ダメなんですよ。「神奈川の地酒です」なんて営業に行ったら使ってくれない。

 

ーーー そこは待ちだったんですね。

 

待ちなんですよ。ひたすら待ち。ただそのときでも一番最初に使ってくれたのは横浜君嶋屋さんや、藤沢とちぎやさん、たけくま酒店さんなどでした。酒蔵は小っちゃいけど、酒屋さんはビッグでしたね!

 

ーーー 晴れて「オール純米蔵」としての道が始まったのですね。

 

実はもう一つ問題がありまして。段々減らしていたとはいえ、前年まで造っていた本醸造用のお米がそのまま浮いてしまうじゃないですか。これはまずいということで、そのお米で造った純米酒を「山田十郎」という名の梅酒にして発売しました。それが平成17年ですね。

 

ーーー 梅酒にするというのは意外な発想ですね!

 

南足柄のコンドー(酒販店「五銭や」)さんが「梅酒を造ろうよ」と、2年くらい声をかけ続けてくれていたんです。最初は「梅酒か・・・」なんて思っていたんですが、造ってみたらこれが好評でした。おかげさまで「お酒が売れるというのはこういうものか」と(笑)。初年度は出す前から予約で終わりでしたね。

 

ーーー これは売れるぞと(笑)。

 

「売れるぞ」ということで、翌年はこの山田十郎の製造量が3倍に。山田錦の「山田」と、小田原の十郎梅の「十郎」で山田十郎と名付けました。


「精米機が買える!」

 

梅酒のおかげで「本醸造がなくなっても大丈夫だ。ここは一気にいこう!」ということで精米機を買いました。

 

ーーー 精米機ですか?

 

どんなに「米にこだわっている」と言っても、精米をしていなければお米の状態を見ていないのとイコールなんです。(農家から直接仕入れた)精米する前のお米があるからこそ、その他のサンプル米との比較・分析が可能になる。また、田んぼや農家さんの違いもはっきりします。

 

自社精米をしてなければ大きな声で「米作りからやっています」と言えないことはわかっていたので、「どこかで入れなければ」と思っていました。蔵にとって当時の購入は本当に大変なことでしたが、梅酒のヒットがあって「精米機、買えるかも!」みたいな(笑)。

 

ーーー 梅酒と精米機はそこで結びついたのですね(笑)。


~編集後記~

 

◆蔵元インタビュー第4回「山田錦と楽風舞」は、1月掲載予定の「泉橋酒造の秋」特集号でUPします。

 

◆さがみ酒米研究会の発足以来、20年に渡り栽培してきた「山田錦」。これらと対照的に、最新技術を駆使して開発された「楽風舞」。それぞれの米について、蔵元・橋場さんの思いを聞きました!